「ゴ」=「呉服」ってどうなの?

「ゴ」と「呉服」の関係については、過去(今は無き)某所でさまざまな確執を生みつつ議論されました。そのときの議論はうやむやになってしまったようですが、私なりの視点で少し考察を加えてみることにしました。もう少し手際よくまとめられるのではないかと思うのですが、取り敢えず試験的に公開します。また、古漢語の解釈についても自信の持てる出来ではなく、認識不足の点がございましたら、ご意見を頂ければ幸いです。現時点では発音記号の一部、漢字の一部が表示されていません。ごめんなさい。


(1) 「ゴ」と「呉服」の関係

ブータンに住むチベット系住民(ドゥクパ)男性が着用する民族衣装「ゴ」は、その形状および着衣形態から日本の着物との類似性を連想させる。「ゴ」、「呉服」と呼称も類似しているため、つい両者に関係があるのではないかと想像したとしても不思議ではない。これは両国友好促進を語る際のエピソードとしては有効に機能するであろう。現にエッセイなどで「ゴ」と「呉服」はその名称から三国時代の「呉」の衣服がルーツであると言及している著名人もいる*1。確かにブータンチベット系文化と日本文化は同じ照葉樹林文化帯に属しており、米食、漆の利用など類似する部分が多いことは事実である。その意味で「ゴ」と「呉服」の間には関係があるかもしれない。しかし、その根拠の一つとして名称の類似を挙げることについては、現時点では多少の躊躇を感じざるを得ない。
本来、この問題に関しては二つの点から考察する必要がある。一つは言語からの検証、もう一つは服飾史(形状)からの検証である。チベットの民族衣装チュバとブータンのゴは類似する部分が大きく、関係があるように思えるが、本稿ではまず言語学的な観点から「ゴ」と「呉服」が同源である可能性を考察したい。



(2) 発音

言語は音と義の両面を持ち合わせている。まず音声の視点からこの問題を検証してみたい。二つの民族衣装の呼称が同起源であるという考え方は、中国を起点とした伝播を想定しているから、古い中国語の発音を検証することが必要である。この場合、現代方言音と文献から整理した中古音、上古音*2を比較する方法が一般的である。時にはこれに併せて日本漢字音、朝鮮漢字音を加える。まず、現代北京音では「呉」は[u]である。各方言を見ると北方官話系諸方言は北京音と同様の頭子音が欠落したものが主流である。南部では以下のとおりである*3。二音あるものは文語音と口語音の両方を / で分けて表記する。


 -蘇州 ■
 -温州 ■
 -梅県・広州 ■
 -厦門・潮州 ■
 -福州・建甌 ■


これらの方言音にはいずれも北京音では既に失われてしまっている古い発音の影響が見られる。頭子音の◆はいずれも喉音*4であり、調音点が非常に近く、本来は同一の音だったと推測される。
「廣韻」に示された発音は五乎切*5とあり、これを再構成音で示すと◆となる*6。よって隋(581-618)・唐(618-907)を含む過去の一定期間「呉」は◆と発音されていたと推測できる。また、それよりも古い時代(上古音)は◆と再構成される。


「呉」という国は中国史上三度出現している。(1)周代-春秋時代期(-473BC) (2)三国時代(222-280) (3)五代十国期(902-937)である。そのいずれもが中国江南地方をその版図の中心としていた。現在に至るまで「呉」といえば「蘇州」を指すことばでもあるので、この概念には古代より変化がないと思われる。呉服の伝来は雄略天皇期(418-479)とあるので、三国時代の「呉」が最も近いといえるが、日本でいうところの「呉」は「中国東南部」を大まかに示すことばとして使用されていたと考えると、音は中古音に拠るのが妥当と思われる*7
しかし、中古音と比較した場合、現代ゾンカでは「ゴ」は/bgo/と綴るので、音声学の面からいえば関係がないとはいえない。これは、その語源と考えられるチベット語の/bgo-ba/に関しても同様である。それは、中国現代方言でも日本漢字音でも見られるように、 ◆>◆>◆(◆)という音変化は一般的なものであるからである*8。しかし、チベット語の「ゴワ」が漢語の「呉」が語源であるとするならば、九世紀のチベット語では、接頭辞の子音[b]を発音していたと推定されていること*9や、「呉」の中古音の頭子音が◆と再構成されているのに、◆を頭子音にもつチベット語において「ゴ」の頭子音が◆にならなかったのかという疑問を考えると、中国語からチベット語への伝播という想定は難しくなる。



(3) 語義

語源はまずそれ自身の言語で行うのが鉄則である。すると「呉服」は「呉織(くれはとり)」という織物技術を伝えた「人物」に遡る。「呉」は当時の中国の「一般名称」で訓の「くれ」は中国が「日の暮れる方角に位置している」ことに由来していると推測される*10。『新版漢語林』には:

字義(1)かまびすしい。やかましい。大声で言う。(2)おおきい。(3)国名。(ア)周代に、周の太王の長子太伯が今の江蘇省地方に建てた国で、呉(今の江蘇省蘇州市)に都した。前四七三年、夫差が越王句践(コウセン)との戦いに敗れて自殺するまで、二十五代七百五十九年続いた。(イ)三国時代孫権が長江下流に建てた国で、建業(今の南京市)に都した。晋に滅ぼされるまで、四代、約六十年続いた。(222-280)(ウ)五代十国の一つ。楊行密(ヨウコウミツ)建てた国で揚州に都した。四代三十六年(902-937)(4)地名。昔の呉の地名。江蘇省の別名。
[国訓](1)くれ。(ア)昔、日本で中国(主に東南地方)を指して読んだ称。(イ)中国から渡来した事物に添える語。「呉竹(クレタケ)」「呉服(クレハ・クレハト・クレハトリ)」「呉織(クレハトリ)」。
呉服:[国訓](1)織物の総称。反物。(2)呉の国から渡来した織物。雄略天皇の時、呉国から渡来した職工の呉服(くれはとり)を音読したもの。


現在一般的な「呉服(ゴフク)」は司馬遼太郎によると*11「くれはとり」を江戸時代に音読したのが始まりで、当時は国産である「西陣の織物」を指したとされている。一方で、当時輸入物の中国蘇州産の絹の反物は「巻物」と呼ばれていた。また、「ゴフク」は呉の織り方で織り出された布帛を指すことばであり、衣服を指すことばではない。これは呉服屋で扱っているものが着物ではなく反物であることからも明白である。この語の変遷からみると、「ゴフク」ということばは日本独自の、いわば「和製漢語」であった可能性がある。つまり「ゴフク」の歴史はわれわれが想像するよりも遥かに新しいのである。

続けて中国語での語義を考えてみたいと思う。説文解字*12によれば、「呉」の項には

呉:姓也、亦郡也。一日呉大言也。从■*13口五乎切。徐[金/皆]曰太言故■口以出聲詩曰不呉不揚。今寫詩者改呉作[口/大]、又音乎化切。其謬甚矣。(姓であり、また郡[周代の地方行政単位の一つ。県の下に置かれた。]である。呉はかつては「大きく口を開けて言う」である。■を部首とし発音は五乎切。徐[金/皆]によると、太言は「■口」なので作詩の際には呉を使用しない。今の作詩者は[口/大]と書きかえ、発音も乎化切とした。その誤りは甚だしいものである。)


廣韻*14によれば、「呉」の項には

呉:呉越又姓。本自太伯之後、始封於呉。因以命氏后季札避国、子孫家于魯衛之間、今望濮陽。五乎切。(呉越はまた姓であり、本来太伯より後、呉を封じることを始めた。氏として命じた後、季札は国を避けたので、子孫一族は魯衛*15の間、今の濮陽に住んだ。)


とある。「呉」は象形文字であり、本来の字義もあるが、古い時代から地名および姓として主に使用されることばであったことがわかる。それを日本で「仮借」して「中国」という意味を当てはめている。本来であれば、龍龕手鑑、集韻、諸橋の大漢和辞典など後世の韻書、字書も確認するべきであるが、織物の伝来時期を考えれば、廣韻までの検証で十分であろう。ちなみに、現代漢語では

(1)春秋戦国時代の国名:現在淮河以南浙江省北部に到る揚子江下流の一帯の地 (2)朝代名。(a)三国の一。222年〜280年。孫権の建てた国:現在揚子江中・下流淮河以南、珠江一帯、越南の一部分の北を領した。建業(南京)に都し、晋に滅ぼされる。(b)五代十国の一。(3)江蘇省南部と浙江省北部の一帯を指す。「呉語」(a)同前の方言。(b)蘇州方言。(4)江蘇省蘇州市の別称。(5)姓。


とある*16。つまり、現代漢語においても、「呉」には地名および姓としてしか使用されておらず、もちろん「呉服」という語彙も現代漢語には当然存在しない。

では、ブータンの「ゴ」はどのような語源をもっているのであろうか。残念なことに、「ゴ」の起源に言及している資料はほとんど存在していない。ブータンの歴史教科書では、「ゴ」の起源を七世紀頃からブータンにやってきたグル・リンポチェをはじめとする仏教指導者の衣装に求めており、農作業の都合上袖幅を狭くして、現在の形になった*17と紹介されているが、根拠はないようである。歴史的に見れば、ブータンの古い時代には男女とも貫頭衣を身につけていたと考える人も多く、後にキラと同じスタイルの巻衣の過程を経て、「ゴ」に至ったといわれる*18。但し、その変遷については十分な研究がなされていない。
「ゴ」という名称はゾンカでは/bgo/と綴られ、「着物、布」を表す/bgo-la/や「(衣服)を着る」を表す/gyon/などと関係の深いことばであると思われる。これは、おそらくチベット語の/bgo-ba/「ゴワ」に由来していると考えられる。蔵英辞典によると:

I. vb. to put on clothes etc., pf., imp. bgos; II. sbst. clothes, clothing.


とあり*19、古い語彙であるとされている。もちろん語義の面からいえば、ゾンカの「ゴ」とチベット語の「ゴワ」は十分関係があるといえる。チベット語の中央、西部、東部それぞれの方言において、/bgo-ba/はほぼ同じ発音を保持している*20ことから、チベット南部方言にもこの語が類似する発音で流入した可能性がある。


もし仮に二つの「ゴ」と「ゴフク」が同じ起源であれば、チベット語の「ゴワ」も漢語起源でなければならない。しかし、チベットでは中国を/rgya/*21(「ギャ」、ゾンカでは「ジャ」)と呼んでいるし、漢語からチベット語への語彙の借用が頻繁になるのは近世チベット語(十七〜十九世紀)*22以降であるので、古い語彙である/bgo-ba/の漢語との関係性は低いと思われる。それに加えて衣装にまつわるエピソードもグル・リンポチェのものしか存在していないことも重要である。ご存知のとおり、グル・リンポチェはインド・チベットを中心に活動したとされる人物として描かれており、中国江南部とは全く接点がない。したがい、日本語と同様の過程でブータンでも「ゴ」ということばが生まれたという可能性を取りたてて強調することは難しいと考えられる。



(4) まとめ

言語面から考えた場合、日本の「ゴフク」は、もともと「くれはとり」と称され、江戸時代に読み替えがおこなわれた比較的歴史の浅いことばである。一方、ブータンの「ゴ」の由来はあいまいで、古いチベット語「ゴワ」との関係が推測できる程度である。これらを踏まえると、現在の発音が「ゴフク」([gohuku])、「ゴ」([go])のように類似しているという理由で、両者が同じ語源を有するものであると即断するのは早計であると考える。ことばというものは歴史のあるものであると思いがちであるが、言語変化は意外に急激なもので、それが「伝統」として「歴史」が再構成されて定着していくことも珍しくない。もちろん、服飾史的観点から見れば、両者の衣服には充分関連があるかもしれない。その場合、「茶」がそうであるように*23三国時代の呉国で衣服を「ゴ」と呼称していて、それが東西に伝播していったとするなら、この両者の呼称に関連があると断言できる。しかし、1970年代に現地を訪問し、ブータンの文化を調査した京都大学ブータン研究会の報告*24によると、

「―― わたしたちはこのゴーを日本に持ち帰って、世界の着物研究をしておられる平安女子短期大学、中井長子助教授にみていただくことにした。中井先生によると、ゴーは、カフタンと呼ばれる長着の形式であって、トルキスタン・ロシヤを中心にして発生し、チベット・アフガン・パンンジャブ・バルチスタンに広まった形式であるということである。材質は、チベットでは、ウールと麻であるのに対して、ブータンのゴーは、木綿である。なぜブータンに木綿の生地が普及したか。この点は大いに、興味を引く問題だ。 ――(中略)―― ゴーは日本の丹前とは系統の異なったものであった。そのうえゴーにはマチがない。この点も丹前と違うらしく、アイヌの厚子(あつし)に近いものだということであった。」


としている。つまり、衣服自体の起源は中国ではなく、はるか西方にある可能性が高いのだ。
「ゴフク」ひいては「くれはとり」は日本人が考え出した呼称であり、それがブータンの「ゴ」と関係があるとするなら、それは中国からではなく、日本から伝来したものとするしかない。全く異質と思われる言語間で類似したことばが存在する理由には、「偶然の一致(類似)」を除くことはできない。したがってこの場合、両者の関連性を考察する時に言語の類似をもってその根拠とするにはいささか無理があるのである。//




●参考文献

  • 許慎、説文解字、中国書店、北京、1990
  • 陳彭年等撰[宋]、大宋重修廣韻、中文出版社、京都、1982
  • 愛知大学中日大辞典編纂所編、中日大辞典(増訂第二版)、大修館書店、東京、1987
  • 鎌田正・米山寅太郎、新版漢語林、大修館書店、東京、1994
  • イェシュケ、蔵英辞典、京都、臨川書店(London 1881)
  • 北京大学語言文学系語言学教研室編、漢語方音字彙(第二版)、文字改革出版社、北京、1989
  • 郭錫良、漢語古音手册、北京大学出版社、北京、1986
  • 西田龍雄、「チベット語(歴史)」、言語学大辞典、大修館書店、東京
  • History of Bhutan Introductory Course Book for Class VI, Education Division Ministry of Health and Education, Royal government of Bhutan, Thimphu, 1998
  • 山本けいこ、ブータン 雷龍王国への扉、明石書店、東京、2001
  • Kunzang Thinley, Tenzin Wangdi, English-Dzongkha Dictionary, KMT Printers Publishers, Thimphu, 2000
  • 桑原武夫・編、ブータン横断紀行 講談社、東京、1978

*1:野村万之丞、<この人・きもの論> きもののルーツ、『NAGANUMA 84号』、長沼静きもの学院、1998、pp.2-5.

*2:「上古音」:『詩経』の押韻体系をもとに整理され、再構成された音韻体系である。主に春秋時代の詩が中核をなしているのでこの時代の発音を反映していると考えられるが、厳密な研究は資料の関係で十分ではない。

*3:北京大学語言文学系語源学教研室編、漢語方音字彙(第二版)、文字改革出版社、北京、1989

*4:[g]は日本語のガの音、◆は英語のngで綴られる音で、日本語の鼻濁音に相当する。◆ɦは日本語にはないが、[h]の有声音(濁音)を表している。

*5:古来、漢字音は二つの漢字の組み合わせで示すのが通例であった。これを反切と呼び、前半の漢字が頭子音を、後半の漢字が母音と韻尾を担当する。

*6:この辺りの詳細は中国音韻学の入門書または中国語研究者カールグレンの著作等を参考のこと。

*7:本来は上古音と中古音の間であるが、便宜上中古音とする。

*8:例えば、「我」、「魚」、「疑」、「五」など。

*9:西田龍雄、「チベット語」、言語学大辞典、大修館書店、pp.752-753.

*10: 司馬遼太郎は、「くれ」の語源として、大野晋朝鮮語kuel(文)と自説の「高麗」=「クレ」を挙げている。大野説は根拠がはっきりせず信用には値しない。司馬遼太郎、中国・江南のみち 街道をゆく19、朝日文庫、東京、1987、p.61.

*11:同上書、pp.74-75.

*12:説文解字』:後漢の許慎(30〜124)が、和帝永元12年(紀元100年)に撰した中国初の漢字字書。全15巻9353字を漢字の成立法則(六書)から解説し、漢字の字義(本義)を明らかにしている。

*13:■には呉から口をはずした字が使用されている。

*14:『廣韻』:601年に隋の陸法言によって編纂された『切韻』をもとに作られた韻書である。編纂当時である唐代の発音を示しているとされ、中国語の古い発音に言及する際には必ず使用される書物である。『切韻』と『廣韻』は共に原本が失われており、宋の時代に校訂された『廣韻』が現在使用されている。そしてこの書物に反映されている音韻体系を「中古音」と呼ぶ。

*15:魯:周代、山東省の西部。[亠/兌]州から?四にいたる土地。衛:周代の国名。河南省濮陽、汲県、泌陽一帯の土地。

*16:愛知大学中日大辞典編纂所編、中日大辞典(増訂第二版)、大修館書店、東京、1987

*17:History of Bhutan Introductory Course Book for Class VI, Education Division Ministry of Health and Education, Royal government of Bhutan, Thimphu, 1998, p.73.

*18:山本けいこ、ブータン 雷龍王国への扉、明石書店、東京、2001、pp.140-141.

*19:イェシュケ、蔵英辞典、京都、臨川書店、1993(London 1881)

*20:同上書、INTRODUCTION、xx.

*21:/rgya/の原義は「(土地の)広がり」。チベット外の土地の総称である。中国は/rgya-nag/(黒い土地)、インドは/rgya-gar/(白い土地)、ロシアを/rgya-ser/(黄色い土地)と区別する。

*22:西田龍雄、前掲書、pp.747-748.

*23:茶は実物と名がそろって伝播した好例である。現実には福建系統のテと広東系統のチャがあるが、チャはテが口蓋化したものであるので、結局は同じであるといえる。

*24:桑原武夫・編、ブータン横断紀行 講談社、東京、1978、p.48