ゾンカの国語化

1971年にゾンカ部門 Dzongkha Division が創設されて以来、政府によるゾンカ普及政策が推進されてきました。そして1980年代後半のゾンカの国語化を受けて、1986年にはゾンカ諮問委員会が発足し、ゾンカの標準化および普及の政治的指針が作成されました。同年、ゾンカ普及委員会 Dzongkha Development Committee が設立され、この部門ではゾンカの表記法の確定や新語の翻訳などが進められました。1989年2月に学校のカリキュラムからネパール語が廃止され、この政策は難民団体などから「ネパール語禁止政策」として批判の対象となりました。しかしネパール語教育は、もともと南部地域のみの特別措置であり、1980年代末の閣議においてすでに廃止が決定されていました。その理由として、

  • ネパール語による教育が南部地域におけるゾンカ普及の阻害要因になっていること、
  • 現在の状況が本来ブータンにはなかった言語であるネパール語のみを優遇し、ツァンラカなどの在来少数派を無視する結果になっていること、
  • ブータンの無償教育が新たなネパール系不法移民を誘引する結果になっていること、
  • 教育法が変化したこと、
  • 三ヵ国語での教育を行うだけの資金が不足したこと

など*1とともにユニセフのレポートにブータン南部の小学生が三ヵ国語を学ぶのは語学習得水準の向上に負担が大きいと報告された*2ことに対する対応が重なったことも影響していると考えられます。


ただし、このゾンカの国語化政策は、ネパール語の使用をブータン国内で禁止しているわけではありません。これは、行政言語(役所などで共通語として使用されることば)としてのネパール語は現在でも南部地域では健在であり、クエンセルのネパール語版、BBSラジオのネパール語放送など、マスメディアでのネパール語の使用も引き続き実施されていることからも明らかです。また、決して多数派ではないゾンカを国語として選択したことを非難する人々も存在しますが、これについても注意すべき点があります。一つは、ブータンに存在するとされる19の言語うち表記法が確立しているのはゾンカとネパール語、そしてチベット語のみであることです。


ところが、ネパール語(ネパール文語)はすでにネパールの国語として採用されているし、ブータンの文化を網羅的に表現するにはあまりにもかけ離れた文化的背景を有しているため、これを国語とすることは実質的には難しいと言わざるを得ません。また、言語人口として大きな勢力を占めているツァンラカ(シャチョップカ)は言語調査が十分に行われておらず、表記方法も確立していません。このような状況において、ゾンカを国語として政府が選択したことはごく自然のなりゆきであると思われます。また、学校教育における共通語は、小学校の時点からゾンカでなく英語であるという点も注目すべき点です。


つまり、多言語国家であるブータンはゾンカ語を母語として生活している国民が大多数を占めているわけではないけれども、逆にこれを理由にして、この政策がネパール系住民のみを差別しているわけではないとも判断しなければなりません。■

 
 

 

*1:Driem, George van, Language Policy in Bhutan, Bhutan: Aspects of Culture and Development, Michael Aris and Michael Hutt eds., Kiscadale Ltd., Scotland, 1994, p.102.

*2:Hutt, Michael, Refugees from Shangri-la, Index of Censorship, Writers and Scholars International, London, 1993.04.