マサンザダ墳墓群

マサンダザ谷(オリジナル画像)



クエンセル2005-05-16
(シェルブツェ大学歴史学部講師ウゲン・ペルゲン)


ブータン人は死者を火葬するが、過去には土葬の習慣があったのではないだろうか?


モンガル・ゾンカクに位置するリンメタンの集落、マサンザダ Masan Daza で約 20 の土葬墳墓群が発見され、カンルンのシェルブツェ大学歴史学部は、過去ブータンで土葬の習慣があった可能性をさらに調査しようとしている。マサンダザの土葬墳墓群はブータンで初めて発見された土葬墳墓で、ブータン古代史の一端を解明するきっかけとなる。


マサンダザはモリリ Mori ri 川の左岸に位置し、モンガルとブムタンを結ぶ幹線道路のすぐそばにある。近くにはジャンドゥン Jangdung の集落と古いションガル・ゾン Zhongar Dzong の遺跡がある。村落は 1980 年代に政府主導の定住計画によって進められた新しい集落である。昔はマサンダザの集落一帯はウラに住むブムタンパの牧草地tsamdrokとして冬期には放牧地として利用されていた森林地帯であった。






墳墓のほとんどは、耕作中にたまたま発見されたもので、トンプ Tongphu の地方領主所有の古い城砦遺跡の隣に位置していると見られる。たいていの墳墓は装飾や墓碑のようなもののないシンプルなもので、今まで発掘された墳墓は長さ 150cm の長方形で、 5 から 6cm の厚さの石板が上に乗っていた。中には副葬品として土器の壺、腕輪、短刀、矢じり、刀剣、鉄器の一部が遺体の上半身に近いところに並べられていた。


最初の墳墓が発見されたのは数年前で、故メメ・ペテ Meme Pethey が建築現場で錆びた腕飾りと壊れた壺の破片を墳墓の中から発見したのがきっかけである。では、この墳墓を作ったのは誰なのか。墳墓群が 2 つの古代城砦遺跡の間にあることから、これがトンプの領主かションガル・ゾンポンの一族もしくは臣民のものである可能性もある。トンプの領主はラセ・ツァンマ Lhase Tsangma の子孫である。ラセ・ツァンマの子孫は東ブータン各地、中央ブータンの一部に広く居住している。ダショー・テンジン・ドルジ Dasho Tenzin Dorji の未出版の著書によると、「トンプの領主は 18 世紀後半に第 3 代デシのチョゲル・ミンジュル・テンパ Chogyal Minjur Tempa の東部地域軍事平定の時に支配下に入った」とされている。しかし、この墳墓群がトンプ領主やションガル・ゾンポンの時代にまで遡るのかどうか、また、チョゲル・ミンジュル・テンパの侵攻軍に打ち負かされたトンプ領主の家族のものなのかという証拠はほとんどない。またこの墳墓群がションガル・ゾンの時代に属するとは考えにくい。ブータン学研究所 the Centre for Bhutan Studies のドルジ・ペンジョル Dorji Penjor 氏の研究で、「墳墓内の副葬品はもっと古い時代のものだと考えられている」からである。副葬品の放射性炭素年代測定を行えば、さらに墳墓の正確な年代がわかるであろう。


文化習慣や信仰がアニミズム的でより古い時代のボン教 Bon nag 的である古くからの現地住民のものであるという可能性もある。ボン教は生贄、地鎮、祈祷、懇願などの習慣を含み、死者の扱いについても全く異なる習慣を持っているからである。また、水疱瘡に罹った人々を埋葬する習慣が過去に存在しており、この墳墓群もそういった重病に罹った人々のものではないかという可能性もある。当時、伝染病に冒された人々は、残りの家族も同じように罹患しないように家族から隔離され、洞窟での孤独な生活を強いられた。そして死後、病気の蔓延を防ぐためにその遺体を土葬した。しかし、このような人々はただ土葬されただけで、石棺に入れられたり、副葬品を入れたりすることはなかった。


おそらくこれらの墳墓群はここに定住していた周辺諸国からの住民のものではなかったのだろうか。 9 世紀にブータン各地にインドからの人々が定住していたという資料がある。シンドゥ・ラージャ Sindhu Raja はチャムカル谷に鉄でできた 4 階建ての城砦を建てて住んでいたというし、オクテン王 Augsten [dbugs bstan] は、ワンデュポダンとペレラの間のシャ・ラージャ・オク Sha Raja Wog [shar raza 'og] に居を構えたという。他にもディメ・クンデン Drimed Kunden 王とその一族がプナカに移住してきたという資料もある。


ゾンカ語講師のロポン・テンジン・ドルジ Lopon Tenzin Dorji は、「モンガルのトルマション Tormazhong とツァカリン Tsakaling の間にある場所に住む人々は、インドからやってきたと信じられている」という。しかし、これらの人々の間に現在のヒンドゥー教徒が行っている火葬ではなく、土葬の習慣があったといえるのだろうか。ロポン・ナド Lopon Nado は著書の中で、「土葬は古い時代のインド人の習慣であり、第2代国王ジグメ・ワンチュクの時代の1930年代においても皿、匙、宝石などの副葬品を含む遺物が発見されている」という。


マサンダザの墳墓群は、当時の人々の遺体に対する尊敬や敬意を示している。副葬品もまた、時製作技術、製鉄技術と加工術、宝石に関する知識を持っていたことを示している。マサンダザで農業が普及し、建築が進むことによって、ブータン古代史の考古学的証拠が、適切に調査されることなく失われてしまうかもしれない。副葬品の年代測定を含め、この墳墓群の調査を急ぐ必要があるだろう。