トンサ・ゾン Trongsa Dzong


正式名称はチョコル・ラプテンツェ Chhoekhor Rabten Tse (川の流れから生まれたダルマ・チャクラの頂上から出現したもの)という。トンサは東西ブータンを結ぶ街道に位置し、戦略上重要であり、東ブータンの権力の中心であったため、歴史上においても非常に有名なゾンである。


古来、マンデ・チュ沿いの街道を通らずにブータン東西を移動することは不可能であったため、1648年ガワン・ナムゲルによって東ブータンからの攻撃を監視するために建設された。当時、ガワン・ナムゲルは権力の安定を急務としており、このトンサ・ゾンも東部の守りを固めるために急遽小規模のゾンが建設された。


ゾンの原型はモンドゥプデ・ラカン Mondrupde Lhakhang と呼ばれた寺院であった。1541年にヨンジン・ガギ・ワンチュク Yongzin Ngagi Wanchuk は現在のゾンの上方にあるユリ Yueli という集落で瞑想を行った。ある夜、谷を見下ろすとバターランプの灯りが目に入った。彼はその場所を聖地として寺院を建設したのである。しかし、その寺院は今はなく、1543年に彼によって建設されたチョルテン・ラカン Chorten Lhakhang が現存する最古の建物である。そして、のちにこの付近に集落が形成された際、ユリの人々はここを「新しい村 trong sar」と名付けた。これがトンサという地名の由来である。


トンサ・ゾンの上方には円形のタ・ゾンが建設され、武器や弾薬を保管する役割を担っていた。また、ゾンを守るための監視所を周囲に多く設置しており、タ・ゾンもその一つである。タ・ゾンにはチベットの英雄リン・ゲセルを祀っている。トンサ・ペンロプから成長した現ワンチュク王朝の精神的、政治的拠り所でもあり、現在でも皇太子はまずトンサ・ペンロプに任命される。初代国王は6mの仏陀像を寄進し、ゾンの内装も充実させた。


トンサ・ゾンで目を引くのは、屋根の高さがまちまちの不規則な構造である。建築的にはブータンの伝統的建築技術を示す素晴らしい例であるといえるだろう。

所蔵品として11世紀に遡ると言われるサイの角の彫刻のコレクションが納められており、四人の守護尊、四天王の壁画がある。本堂に描かれているプルパ Phurpa (パドマサンバヴァに由来する魔を調伏する「クイ」の働きを仏格化した典型的な忿怒尊:金剛ケツ[木厥])の壁画で有名である。またガラスケースに納められたゲジェ Geje (マンジュシュリ/文殊菩薩の忿怒形)の像があり、牛頭で恐ろしい守護尊として描かれている。

ゾンの歴史

1541 ヨンジン・ガギ・ワンチュクがモンドゥプデ・ラカンを建設
1543 チョルテン・ラカン建設(現存する最古の建物)
1648 ガワン・ナムゲルがゾンを建設
1652 トンサ・ペンロプ チョジェ・ミンジュル・テンパがゾンを拡張
1667 テンジン・ラプゲがゲン・カンを奉納し、17世紀末にかけてゾンを拡張
1715 トンサ・ペンロプ ドゥク・デンドゥプ がチェンレジ・ラカンを建設
1765 トンサ・ペンロプ デブ・シダルがトンサ・ラプデ・ダツァンを建設
1853 トンサ・ペンロプ ジグメ・ナムゲルがデチョク・ラカンを建設
1897 大地震で壊滅的な被害
1905 JC ホワイトが訪問