2006-04-01から1ヶ月間の記事一覧

 ブータンの南部問題って?

「南部問題 Southern Problem」とは、1990年にブータン南部地域で起こったネパール系住民とチベット系住民の対立・暴動と、それに伴うネパール系住民の「難民」化が中心となった民族問題である。ここでは、南部問題の背景の解説と簡単な経緯について書いてみ…

 ブータンの人口は何故2種類あるのか

ブータンの人口を調べた人が、必ず目にする2つの数字。これを見た人は「は?」と思うことでしょう。例えば下の数字です。 2002年 2,094,176人 716,423人(政府発表) 2001年 2,140,000人(国連推計) 654,000人(政府発表) 資料によって人口統計に大きな差…

ブータンの国名の由来

(1)正式国名ドゥク・ユル(Druk Yul)以前の名称 旧時、ブータンを含むこの地域は、チベットでは「ロ・モン Lho Mon の国」、つまり「モンの南の国」、または「ロ・モン・カ・シ (Lho Mon Kha Zhi)」 (4つの入り口を持つモンの南の国)と呼ばれていました。 つ…

 ヨーロッパはいつから「ブータン」を知っているのか

クエンセル 2003-08-23より (注:要約したため、意訳、追加、省略した部分があります。) (1)本来、ブータンはチベットを表すことばだった? ◆ブータンが西洋の地図に最初に現れたのはいつかという調査が2年前ロンドン最大の地図店にて開始された。そして発…

 ディグラム・ナムジャって何?

1989年1月に始められたディクラム・ナムジャは、ブータンにおける「伝統」的な生活において守らなければならないさまざまな規律の総称で、チベット系伝統文化復興運動の側面が強いものでした。一般的に語られる場合は、チベット系民族衣装の公共の場での着用…

 パロ・ゾン Paro Dzong

パロ・ゾンは、パロ・チュ Paro Chhu 沿いにその勇姿を誇る美しい建築物である。ゾンの前身はパジョ・ドゥゴム・シクポの子孫ラマ・ドゥン・ドゥン Lam Drung Drung が建てたフンレ(ル)・ゾン Hungrel Dzong という小さなゾンである。ガワン・ナムゲルがパ…

 タシチョ・ゾン Trashichhoe Dzong

「輝かしい法の城砦」を意味するこのゾンは、ティンプーにあり、国王と王国の政治行政機能およびジェ・ケンポの夏季の住居として使用される。峰の頂上に建設される他のゾンと違い、谷の底に建設されている。ゾンの場所にはもともとド・ホン Do hon (青い石…

 ワンデュ・ポダン・ゾン Wangdue Phodrang Dzong

プーナ・ツァン・チュ Puna Tsang Chhu(サンコーシュ・チュ Sankosh Chhu)とダン・チュ Dang Chhu に挟まれた岩の上に聳える。1638-39年ガワン・ナムゲルによって建設された(1578年と推定する説もある)。ある日、彼は「眠る牛のような形のゾン」を作れば…

 プナカ・ゾン Punakha Dzong

標高1,350mと低く、亜熱帯植物も多く見られるプナカは、1955年にティンプーが恒久首都になるまでの300年間、冬の首都として機能した。タシチョ・ゾンの僧侶は現在でも冬になるとプナカ・ゾンに移動する。プナカ・ゾンはブータンで二番目に建設されたゾンであ…

タシガン・ゾン Trashigang Dzong

ダンメ・チュ Dangme Chhu とガムキ・チュ Gamki Chhu に挟まれたマナス川 Manasu Chhu を臨む高い峰にあり、インドのアルナチャル・プラデシュ州のタワン Tawang との距離は約65kmという場所に位置する。1667年第三代デシ、チョゲル・ミンジュル・テンパ Ch…

トンサ・ゾン Trongsa Dzong

正式名称はチョコル・ラプテンツェ Chhoekhor Rabten Tse (川の流れから生まれたダルマ・チャクラの頂上から出現したもの)という。トンサは東西ブータンを結ぶ街道に位置し、戦略上重要であり、東ブータンの権力の中心であったため、歴史上においても非常に有…

 シムトカ・ゾン Semtokha Dzong

シムトカ・ゾンはティンプーから8km程南に下りた、パロ=タシガン、ティンプー=プンツォリンの幹線道路が交錯する交通の要衝に聳え、ティンプーに向かう谷の三方を監視する戦略的な位置を占めている。1627年にガワン・ナムゲルによって建設されたブータン最…

 ゾンDzongの歴史

ゾンは本来チベット起源とされますが、ブータンに顕著に見られる建造物です。英語では「城砦 fortress 」と訳される、行政と宗教の中心として交通の要衝に建設された建物です。 ゾンの起源は12世紀に遡るとされます。カギュ派ラ派のラマ、ゲルワ・ハナンパ G…