ブータンの国名の由来


(1)正式国名ドゥク・ユル(Druk Yul)以前の名称

旧時、ブータンを含むこの地域は、チベットでは「ロ・モン Lho Mon の国」、つまり「モンの南の国」、または「ロ・モン・カ・シ (Lho Mon Kha Zhi)」 (4つの入り口を持つモンの南の国)と呼ばれていました。 つまりブータンは「仏教に教化されていない未開の地域」 (ロ:南、モン:暗黒)だったのです。


急峻なヒマラヤ山脈、深い峡谷、密林など、ブータンは周囲を苛酷な自然条件により守られた天然の要塞でした。ブータンに入国する最適なルートは4つの四方に一つずつしかなかったのです。これが、「カ・シ」の意味です。東は、ドゥンサムカ Dungsamkha(現在のカリン・ペマガツェル)、西は、ダリンカ Dalingkha(現在のカリンポン)、南は、パグサムカ Pagsamkha(クーチビハールのブクサ)、北は、タクツェカ Tagtsekha(現在のリンシ付近)でした。


「ロ ジョン(Lho Jong)」とはチベット語で「南部地域」という意味です(ゾンカでも同じです)。つまりチベットから見て南に位置するブータンを指して言うときに使われました。未開の地(モン)という言葉が使われなくなったこの名称には「チベット仏教が普及し教化された」という意味が含まれていると考えられます。


この他に森林資源が豊富だったブータンは、「ロ・ジョン・メン・ジョン(Lho Jong Men Jong)」「ロ・モン・ツェンデン・ジョン(Lho Mon Tsenden Jong)」といった名称でも呼ばれました。ロ・ジョン・メン・ジョンは「薬草の国」、ロジョンツェンデンジョンは「イトスギの国」といった意味です。


(2)正式国名ドゥク・ユル

ドゥク・ユル(Druk Yul)とは「龍の国」を意味します。アルファベットの英語読みに引きずられて、ドゥルックと表記することが一般的ですが、チベット語のdrは1つの子音なので、あえてこの表記を使うことにします。さらに原音に近く表すとすれば「ドゥッ・ユー」でしょうか。


この命名には次のような伝承があります。


12世紀末、高僧ツァンパ・ギャレ・イシェ・ドルジが、中央チベットに新しい寺を建立していた時、虚空から突然雷鳴が轟きました。雷は龍の鳴き声であるとされていたので、これにインスピレーションを得たドルジは、この寺を「ドゥク」と命名しました。後に、彼が開祖となった宗派はドゥク派と呼ばれるようになります。(ドゥク派チベット仏教カギュ派に属します。)


17世紀以降、ブータンはこの宗派の下に統一されたので、国名をドゥク・ユル(雷龍[=ドゥク派]の国)、国民をドゥク・パと自称するようになりました。また、中国の清朝の資料などには、ブータンについて「布魯克巴(Bu lu ke ba)」、「竹巴(Zhu ba)」と書かれており、ドゥク・パと呼ばれていた(または、チベット人がそう呼んでいた)ことがわかります。「布魯克巴」はドゥク・パのチベット語表記 'Brug pa をそのまま読んだもの、「竹巴」はチベット語の音声を転写したものです*1



(3)ブータンの語源

 ドゥクが北方由来の名称であるのに対して、ブータン(Bhutan)という言葉は南方由来の名称です。この言葉の語源にはいくつかの説があり、統一見解はありません。中でも、以下の3つの説が有力です。

  1. サンスクリットのBhota ant(ボトの端)
  2. Bhu-uttan (高地)
  3. Bhot-stan (ボタ人またはチベット人の国)


 Bhotは「チベットの自称 Bod」に通じ、チベット人を表す表現だったようです。また、19世紀の文献では、Bootan, Boutan, Boutanner などと書かれていることもあります。


関連項目
ブータン」ということばをヨーロッパ人が最初に目にしたのはいつなのか?

 
 
 

*1:注:チベット語のそり舌音は、中国語では捲舌音で転写されます。また転写の際、語尾にd, k などがくると入声音の漢字を選択する傾向にあります(ここでは「竹」がそれに当たります)。