Google Earth ブータン関連情報

解像度が悪いところが多いのですが、トンサ〜ブムタンが何故か解像度が高いです。(一部真っ暗なところもありますが) 他のところも解像度上がるといいですね。 "トンサ・ゾン" lat=27.5017479606, lon=90.5056241093 黄色い屋根がはっきり見えるので、まず…

 マサンダザ訪問記

折角なので、2000 年初夏にマサンダザを訪れた時の日記を抜粋して掲載します。 6 月 23 日リンメタン着。ここからマサンダザまでは徒歩だ。日が照っていないとはいえ暑い。周囲は木が鬱蒼と茂っていて、トウモロコシ畑が続き、様々な草々が生い茂っている。…

 マサンダザの伝承

1998年に初めてマサンダザ村を訪れ、その後寺院への寄進を通じて関係を持っています。昨日の新聞記事では足りない情報もあり、某所に提供した文章の一部ですが、改変の上再掲してみました。マサンダザはコメとトウモロコシを中心とした農業を生業とし、亜熱…

 マサンザダ墳墓群

クエンセル2005-05-16 (シェルブツェ大学歴史学部講師ウゲン・ペルゲン) ブータン人は死者を火葬するが、過去には土葬の習慣があったのではないだろうか? モンガル・ゾンカクに位置するリンメタンの集落、マサンザダ Masan Daza で約 20 の土葬墳墓群が発…

 ゴンパとラカン

ブータンの宗教建築物は外壁の上部を赤く太い線がぐるりと取り囲んでいることから(そうでないものもあるが)、見た目でわかりやすい。そういった建築物の代表的なものはゾン Dzong である。 ゾン以外の宗教建築物としては、ラカン、ゴンパ、ダツァン、チョ…

ゾンカの国語化

1971年にゾンカ部門 Dzongkha Division が創設されて以来、政府によるゾンカ普及政策が推進されてきました。そして1980年代後半のゾンカの国語化を受けて、1986年にはゾンカ諮問委員会が発足し、ゾンカの標準化および普及の政治的指針が作成されました。同年…

 「ゴ」=「呉服」ってどうなの?

「ゴ」と「呉服」の関係については、過去(今は無き)某所でさまざまな確執を生みつつ議論されました。そのときの議論はうやむやになってしまったようですが、私なりの視点で少し考察を加えてみることにしました。もう少し手際よくまとめられるのではないか…

 ブロクパ(Brokpa)

(1)地理的分布タシガン・ゾンカクの最東端の2つのゲオクに分布する遊牧民族。インドのアルナーチャル・プラデーシュ州に接しているのがメラ・サクテンである。標高は3000m以上(氷河の最低標高)の氷河に削り取られた谷に住んでいる。メラはニェラ・アマ・…

 ブータン人のチベット観

ここにはチベット人に対する不適切な表現が含まれていますが、ブータン人のチベット観を理解するために必要と判断致しましたので自主規制せずに掲載します。どうか御諒承頂きたく宜しくお願い致します。 2000年のブータン旅行で、何人かのブータン人に「チベ…

ロプ(Lhop)

(1)起源ロプ Lhop を表す言葉として一般的な「ドヤ Doya」いう語は、ネパール語の「ダヤ daya」(「親切な」の意)が起源である。ネパール系移民がこのあたりに移住した際に、ロプは既に固有のコミュニティを形成していた。人見知りで親切、温和なロプの人々…

 ブータンの民族構成

ブータンは小国ながらも多民族国家を形成している。しかし、その民族的、言語的特徴や民族分布といった調査はまだ本格的に行われておらず、詳細は分かっていない。ブータンに居住する民族はその歴史的背景から大きく四つの集団に分けることができる。この四…

 現代ゾンカ新語事情

クエンセル 2003-09-06 (注:要約したため、意訳、追加、省略した部分があります。) Logrigはコンピュータ、gyangthongはテレビ、yongdrelはインターネット、numkhorは自動車…。 一般的に使用されている英語の語彙の代わりとなる数百のゾンカの新語が、ゾ…

 ブータンの南部問題って?

「南部問題 Southern Problem」とは、1990年にブータン南部地域で起こったネパール系住民とチベット系住民の対立・暴動と、それに伴うネパール系住民の「難民」化が中心となった民族問題である。ここでは、南部問題の背景の解説と簡単な経緯について書いてみ…

 ブータンの人口は何故2種類あるのか

ブータンの人口を調べた人が、必ず目にする2つの数字。これを見た人は「は?」と思うことでしょう。例えば下の数字です。 2002年 2,094,176人 716,423人(政府発表) 2001年 2,140,000人(国連推計) 654,000人(政府発表) 資料によって人口統計に大きな差…

ブータンの国名の由来

(1)正式国名ドゥク・ユル(Druk Yul)以前の名称 旧時、ブータンを含むこの地域は、チベットでは「ロ・モン Lho Mon の国」、つまり「モンの南の国」、または「ロ・モン・カ・シ (Lho Mon Kha Zhi)」 (4つの入り口を持つモンの南の国)と呼ばれていました。 つ…

 ヨーロッパはいつから「ブータン」を知っているのか

クエンセル 2003-08-23より (注:要約したため、意訳、追加、省略した部分があります。) (1)本来、ブータンはチベットを表すことばだった? ◆ブータンが西洋の地図に最初に現れたのはいつかという調査が2年前ロンドン最大の地図店にて開始された。そして発…

 ディグラム・ナムジャって何?

1989年1月に始められたディクラム・ナムジャは、ブータンにおける「伝統」的な生活において守らなければならないさまざまな規律の総称で、チベット系伝統文化復興運動の側面が強いものでした。一般的に語られる場合は、チベット系民族衣装の公共の場での着用…

 パロ・ゾン Paro Dzong

パロ・ゾンは、パロ・チュ Paro Chhu 沿いにその勇姿を誇る美しい建築物である。ゾンの前身はパジョ・ドゥゴム・シクポの子孫ラマ・ドゥン・ドゥン Lam Drung Drung が建てたフンレ(ル)・ゾン Hungrel Dzong という小さなゾンである。ガワン・ナムゲルがパ…

 タシチョ・ゾン Trashichhoe Dzong

「輝かしい法の城砦」を意味するこのゾンは、ティンプーにあり、国王と王国の政治行政機能およびジェ・ケンポの夏季の住居として使用される。峰の頂上に建設される他のゾンと違い、谷の底に建設されている。ゾンの場所にはもともとド・ホン Do hon (青い石…

 ワンデュ・ポダン・ゾン Wangdue Phodrang Dzong

プーナ・ツァン・チュ Puna Tsang Chhu(サンコーシュ・チュ Sankosh Chhu)とダン・チュ Dang Chhu に挟まれた岩の上に聳える。1638-39年ガワン・ナムゲルによって建設された(1578年と推定する説もある)。ある日、彼は「眠る牛のような形のゾン」を作れば…

 プナカ・ゾン Punakha Dzong

標高1,350mと低く、亜熱帯植物も多く見られるプナカは、1955年にティンプーが恒久首都になるまでの300年間、冬の首都として機能した。タシチョ・ゾンの僧侶は現在でも冬になるとプナカ・ゾンに移動する。プナカ・ゾンはブータンで二番目に建設されたゾンであ…

タシガン・ゾン Trashigang Dzong

ダンメ・チュ Dangme Chhu とガムキ・チュ Gamki Chhu に挟まれたマナス川 Manasu Chhu を臨む高い峰にあり、インドのアルナチャル・プラデシュ州のタワン Tawang との距離は約65kmという場所に位置する。1667年第三代デシ、チョゲル・ミンジュル・テンパ Ch…

トンサ・ゾン Trongsa Dzong

正式名称はチョコル・ラプテンツェ Chhoekhor Rabten Tse (川の流れから生まれたダルマ・チャクラの頂上から出現したもの)という。トンサは東西ブータンを結ぶ街道に位置し、戦略上重要であり、東ブータンの権力の中心であったため、歴史上においても非常に有…

 シムトカ・ゾン Semtokha Dzong

シムトカ・ゾンはティンプーから8km程南に下りた、パロ=タシガン、ティンプー=プンツォリンの幹線道路が交錯する交通の要衝に聳え、ティンプーに向かう谷の三方を監視する戦略的な位置を占めている。1627年にガワン・ナムゲルによって建設されたブータン最…

 ゾンDzongの歴史

ゾンは本来チベット起源とされますが、ブータンに顕著に見られる建造物です。英語では「城砦 fortress 」と訳される、行政と宗教の中心として交通の要衝に建設された建物です。 ゾンの起源は12世紀に遡るとされます。カギュ派ラ派のラマ、ゲルワ・ハナンパ G…