パロ・ゾン Paro Dzong

bhutan2006-04-09



パロ・ゾンは、パロ・チュ Paro Chhu 沿いにその勇姿を誇る美しい建築物である。ゾンの前身はパジョ・ドゥゴム・シクポの子孫ラマ・ドゥン・ドゥン Lam Drung Drung が建てたフンレ(ル)・ゾン Hungrel Dzong という小さなゾンである。ガワン・ナムゲルがパロにやってきたときに、ラム・ドゥン・ドゥンの子孫によって彼に寄進された。ガワン・ナムゲルは1646年、その場所に新たに大きなゾンを建築した。この目的の一つには、ドゥゲ・ゾン経由のチベット交易路の入り口を固め、チベットに対する防衛力強化があった。1905[1907?]年の大火により、重要文献とともに焼失したが、1908年以降パロ・ペンロプにより再建された。その際、カルサ・ラカン Karsa Lhakhang にあった等身大のパドマサンバヴァ、ブッダ、ガワン・ナムゲルの像が奉納された。幸いにもリンチェン・ゲデン Rinchen Geden 作の有名なトンドル(9m四方)は焼失を免れた(毎年パロ・ツェチュで公開される)。

パロ・ゾンはパロ・ペンロプの居城として権威の象徴であり、しばしば権力抗争の舞台ともなった。19世紀のワンチュク王朝成立前の権力闘争は、トンサ・ペンロプvsティンプー、パロ連合軍で行われ、トンサ・ペンロプの勝利を導き、ワンチュク王朝成立の足がかりとなった。タシチョ・ゾンの移築(1969年)以前は国民議会の開催地でもあった。


正式名称はパロ・リンプン・ゾン Paro Rinpung Dzong といい、「宝石の山」を意味する。五階建ての大きな長方形の周囲の部分と、七階建てのウツェの部分からなる。入り口は山の斜面側(東)にあり、三階に直接通じる形式になっている。

チベット最前線であることから、防衛面での工夫がなされており、ゾンへのアクセスは西側の木製の橋に限定されていた。非常時には橋を落として敵の侵入を防ぐ仕組みだ。また、地下道が準備されており、篭城時に有効活用されたといわれる。ゾンよりも山側には三つの監視所があり、三方を固めていた。その一つはタ・ゾン Ta Dzong と呼ばれ、現在は国立博物館として公開されている。ここには、アゲ・タムチュ Age Tamchu とトンサ・ペンロプ、ジグメ・ナムゲルが戦った際に息子で初代国王のウゲン・ワンチュクが幽閉されていた。


ゾンの歴史

ラマ・ドゥン・ドゥンがフンレル・ゾンを建設
1646 ガワン・ナムゲルが新ゾンを建築
1649 テンジン・ドゥクダがウツェを建設
1905 [1907?] 火災
1908 パロ・ペンロプにより再建