タシチョ・ゾン Trashichhoe Dzong

bhutan2006-04-08



「輝かしい法の城砦」を意味するこのゾンは、ティンプーにあり、国王と王国の政治行政機能およびジェ・ケンポの夏季の住居として使用される。峰の頂上に建設される他のゾンと違い、谷の底に建設されている。ゾンの場所にはもともとド・ホン Do hon (青い石)と呼ばれる僧院が13世紀にチベットからやって来たパジョ・ドゥゴム・シクポによって建設されていた。1641[1642?]年、ガワン・ナムゲルがゾンへと改築し、タシチョ・ゾンと命名した。1730年にはチベットブータン平和条約がこの場所で調印された。1755年シェラプ・ワンチュク Sherab Wangchuk が再度増築したが、1771年、1869年と火災に遭い、その後1870年ジグメ・ナムゲルが修築し、寺院を併築した。


JC ホワイトはこの古いゾンを次のように形容している。

「…この平行四辺形の建物は、川に平行する二辺が他辺の二倍になっている。これが他のゾンと違っているところである。ゾンには2つの大きな入口が南側と川に面した側にある。西側と北側は堀で囲われている。南西の角には国王の現行の部屋がある。西側にはティンプー・ゾンポンの部屋がある。北側のゾンの一部はタ・ツァン ta tsang と呼ばれるラマが居住しており、一般には開放されていない。壁の上には白いチョルテンがあり、二重の屋根で風雨から守られている。中庭の中央部には非常に美しいウツェがある。6m2に少なくとも15mの高さがある。美しい壁画が描かれており、絹布で装飾されているが、ジェ・ケンポがプナカに移動している間はそれらの装飾も共にプナカへと移動する。西側に建てられた連なった仏堂は、それぞれが素晴らしいブータン建築の一例である。…」

新しいゾンは現国王により建設され、1969年に完成したが、JC ホワイトの語るものと同様の建築様式をいくつか踏襲している。中央のウツェはジェ・ケンポの住居であるが、古い建物である。ゾン全体で100以上の部屋を持ち、図面もなく、釘も一本も使っていないジョイント式で作られている(後の改修では釘が使用されている)。国王は重要な賓客を迎えるための美しい本堂を持つ。すべての閣僚はゾンで執務を行っている(一部の閣僚は現在SAARCホールで執務を行っている)。
国民議会の議会は北西の隣接する中庭にある大会議場で行われる。ツェチュの踊り、Dom-chu はメインの中庭で行われる。


ブータンの慣習により、日の出前、日没後のゾン内への女性の立ち入りが原則的に規制されているが、タシチョ・ゾンはこの決まりを1968年に最初に破ったゾンである。インディラ・ガンディー・インド首相が国王の招待客としてゾンに宿泊したのである。


仏教哲学によると、世界は球形ではなく、世界の中心は須弥山であり、この山はインディラ神の御座と信じられている。四人の守護尊はこの須弥山を守っているとされる。ゾン内の寺院には、悟りの境地に達した菩薩 Buddha-hood とされる地元のラマの像がたくさんある。女神(じょしん) Shakti を従えた大日如来も描かれている。仏壇には仏陀像が安置され、グル・リンポチェ、シャブドゥン、ラマ・カルマパ(カルマパの転生譜)などの像もある。現在のカルマパ(14世)はチベットから亡命し、シッキムに住んでおり、ブータンでも尊敬を集めている。


グル・リンポチェ像は真実を示すヴァジュラ(ドルジ)を持っている。ウツェの入口は密教美術で装飾されている。ゾンの北方には、デチェンポダンという小さな僧院がある。ここはティンプー・ゾンポンの夏の離宮であった。この僧院はよく整備されており、ティンプー・ゾンから派遣されたラマが管理している。ここには最初のシャブドゥンであるガワン・ナムゲルの像があり、彼の治世期に建設された。

ゾンの歴史

13世紀 ド・ホン・ゾンがパジョ・ドゥゴム・シクポによって建設
1641 [1642?]、ガワン・ナムゲルがタシチョ・ゾンに改築
1694 ゲルワ・テンジン・ラプゲが拡張
1730 チベットブータン平和条約がここで調印
1755 シェラプ・ワンチュクが増築
1771 火災
1869 火災
1870 ジグメ・ナムゲルが修築し、寺院を併築
1905 JC ホワイト ブータン訪問
1907 JC ホワイト ブータン訪問
1969 新ゾンが現在の場所に完成