ブータンの民族構成


 ブータンは小国ながらも多民族国家を形成している。しかし、その民族的、言語的特徴や民族分布といった調査はまだ本格的に行われておらず、詳細は分かっていない。ブータンに居住する民族はその歴史的背景から大きく四つの集団に分けることができる。この四つの集団は居住地域と使用言語(母語)において明確な差異があり、かつその両者が一対一で対応していることに特徴がある。


 まず、南部低地地帯には主にローツァンパ Lhotshampa と呼ばれるネパール系の住民が住んでいる。「ロ lho」とはゾンカ語で南を意味する言葉で、さしずめ「南の人」といったところである。ネパリと呼ばれることも多い。彼らはインド=アーリア系のネパール語を話し、ヒンドゥー教を信仰している。彼らが本稿で焦点を当てる民族であるが、彼らはもともとブータンの土着の住民ではなく、ここ1世紀ほどの間にさまざまな理由によりネパールやインドのダージリンなどから移住してきた人々である。その歴史は、古くは十九世紀にイギリス支配下の茶園プランテーションの労働力として、アッサムやダージリン周辺に移住が奨励されたところに遡ることができる。


 次に、中部照葉樹林地帯にはブータンの人口の多数派を形成するチベット系の土着の民族が居住しており、その出自から東、中央、西と三つの集団に分類される。チベット系の民族集団は総称してドゥクパDrukpaと呼ばれる。これは彼らの大多数が信仰するチベット仏教ニンマ派の支派である「ドゥク派」という宗派名が由来となっている(関連項目)。また、Bhoteと呼ばれることもある。西部、ペレ・ラ Pele La 以西に居住するのがガロン Ngalong と呼ばれる、1,000年以上前にチベットから移住してきたとされる民族集団である。彼らの母語は中央チベット語の南部方言に分類され、文化もチベットの影響が色濃い。現在国語として普及が進められているゾンカ語は、これを基礎として規範化されたものである。


 ペレ・ラの東からトゥムシン・ラ Thumsing La の東までの中部に居住するのが、ブムタンパ Bumthangpa と総称される集団である。彼らはブムタンカと呼ばれる古代チベット語の要素を強く残す言語を話し、ケン Kheng やクルテ Kurtoe といった古代に栄えた地方に住み、ブータンの古い文化を担ってきた人々である。しかしながら、民族としてのブムタンパは、一般的に西部のガロンに包括されることが多い。


 東部最大の街タシガン Trashigang を中心に分布するのがツァンラ Tshangla (シャチョップ Sharchop) と呼ばれる集団である。「シャ Shar (シャ[ル])」とはゾンカ語で「東」を意味する。彼らは自らの出自をビルマ・アッサム地方だと認識しており、チベット文化の影響を受ける前のブータンの伝統を色濃く残していると思われる。彼らの母語はツァンラカ Tshanglakha (シャチョップカ Sharchopkha) と呼ばれる言語で、チベットビルマ語族の中でもビルマ語系に近いと考えられている。


 この四大集団以外の少数民族として、比較的よく知られているのがブータン西北部山岳地帯に住むリンシ Lingzhi、ラヤ Raya、ルナナ Lunana、東北部山岳地帯に住むダクパ Brugpa、メラ・サクテン Merak Sakteng などの遊牧民がある。他にも南西部には ロプ Lhop(関連項目)、 タバ・ダドゥル Taba Dradul と呼ばれる民族が、そしてシプソ Sipsoo 周辺にはアパデシー Adhevasi(?) *1というインド系の民族の存在が認められている。これ以外に、シッキムに居住するレプチャ族 Lepcha や1959年のチベット動乱によって難民として逃れてきたチベット人 Tibetan がブータン西部・中央部に住んでいる。


 主要三民族集団の民族構成は人口調査の結果が公表されていないこともあり、立場によって取り上げる比率の数字はさまざまである。1998年にブータンを訪問した際にブータン中央統計局で確認してみたが、そのような統計は存在しないとの回答だった。また、ブータン中央統計局が現在出版している統計資料は人口統計の部分だけが情報が少なく、県(ゾンカク)別の人口も民族別人口も一切公表されていないばかりでなく、人口増加率も計算上の数値を使用している。


 このように、ブータン政府が人口に関する公式数字を公表していないことから、各種資料に言及されている民族構成比率はまったく一致していないのが現状である。その比率は大きく二分される傾向にある。一つは現在の政権の正当性を示すためにチベット系住民が人口の過半数を占めていることを示したもので、政府発表の資料を使ったものに多い。ただし、この場合西部のガロンと東部のツァンラを分けて示しているものは少なく、ドゥクパとしてまとめて算定されている。もう一つは、ネパール系住民の構成比率を過大評価したもので、いかに支配民族であるガロンが少数派であるかを証明させる形になっている。この資料はブータン難民団体が発行した資料を使用したものに多く、支配民族の少数性を際立たせるためにガロンとツァンラを分けて算定しているものがほとんどである。いずれにしろ民族構成比率に関しては双方の正当性を証明するための「数値操作」の可能性を十分感じさせるが、妥当な数字として、ガロンが約20%、ツァンラが約30%、ローツァンパが約40%、その他少数民族が約10%と見ておきたい。


 今枝由郎によると、ドゥクパ(Drukpaチベット系) 50%・ネパール系 35%・その他 15%という民族構成が報告されている。また、Tessa Piper によるとガロン 10〜28%・ツァンラ 30〜40%(以上チベット系)・ローツァンパ 25〜52%(ネパール系)、合計85〜90%としている。


 ガロンはゾンカを母語とし、西ブータン一帯に居住している。ツァンラはツァンラカを母語とし、東ブータン一帯に居住している。ローツァンパは「南部に住む人」という意味であるが、南ブータンに居住し、ネパール系(ethnic Nepalese)で、ネパール語母語とし、ヒンドゥー教徒である。今枝によると、2/3は北部高山地帯・中腹部山岳地帯に住むチベット系、1/3が南部森林地帯に住むネパール系である。■

*1:Adhevasi (アーデーヴァシー) はインドでは指定カーストの総称として使用されている。