ブロクパ(Brokpa)


(1)地理的分布

タシガン・ゾンカクの最東端の2つのゲオクに分布する遊牧民族。インドのアルナーチャル・プラデーシュ州に接しているのがメラ・サクテンである。標高は3000m以上(氷河の最低標高)の氷河に削り取られた谷に住んでいる。メラはニェラ・アマ・チュNyera Ama Chhu の上流、サクテンはガムリ・チュ Gamri Chhu 沿いの低地に位置する。メラは 213世帯 1908人が、サクテンには 330世帯 2126人が住んでいる。しかし、メラ・サクテン合わせた人口は、ブータン全人口の0.12%にすぎない。男女比は、メラが女性 1000人に対し男性が 1141.4人、サクテンが 1051人と男性が高くなっている。これは全国比よりも高い率で男性が多いコミュニティである。というのも、ドクパ社会では男性が経済活動を担うからである。

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 ブータン人のチベット観

ここにはチベット人に対する不適切な表現が含まれていますが、ブータン人のチベット観を理解するために必要と判断致しましたので自主規制せずに掲載します。どうか御諒承頂きたく宜しくお願い致します。

2000年のブータン旅行で、何人かのブータン人に「チベット人をどう思うか」について聞いてみました。チベット人ブータン観は、「チベット文化圏の辺境」という見方が一般的なようで、直接的に口にこそしないものの、「所詮田舎者」と心のどこかでバカにしているところがうかがえます。ここではその逆についてブータン人に聞いてみたわけですが、総じて「ブータンブータン」という考え方が一般的なようです。

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ロプ(Lhop)


(1)起源

ロプ Lhop を表す言葉として一般的な「ドヤ Doya」いう語は、ネパール語の「ダヤ daya」(「親切な」の意)が起源である。ネパール系移民がこのあたりに移住した際に、ロプは既に固有のコミュニティを形成していた。人見知りで親切、温和なロプの人々は、新参者を親切に扱った、これは先祖代々の土地でさえチャンとの交換に彼らに耕作を許した寛大さもある。移民は彼らを感謝の意をこめて「ダヤ Daya」と呼んだ。「ダヤ」は転訛して「ドヤ」となり、ロプ自身もこの名前を使い始めた。

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 ブータンの民族構成


 ブータンは小国ながらも多民族国家を形成している。しかし、その民族的、言語的特徴や民族分布といった調査はまだ本格的に行われておらず、詳細は分かっていない。ブータンに居住する民族はその歴史的背景から大きく四つの集団に分けることができる。この四つの集団は居住地域と使用言語(母語)において明確な差異があり、かつその両者が一対一で対応していることに特徴がある。


 まず、南部低地地帯には主にローツァンパ Lhotshampa と呼ばれるネパール系の住民が住んでいる。「ロ lho」とはゾンカ語で南を意味する言葉で、さしずめ「南の人」といったところである。ネパリと呼ばれることも多い。彼らはインド=アーリア系のネパール語を話し、ヒンドゥー教を信仰している。彼らが本稿で焦点を当てる民族であるが、彼らはもともとブータンの土着の住民ではなく、ここ1世紀ほどの間にさまざまな理由によりネパールやインドのダージリンなどから移住してきた人々である。その歴史は、古くは十九世紀にイギリス支配下の茶園プランテーションの労働力として、アッサムやダージリン周辺に移住が奨励されたところに遡ることができる。

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 現代ゾンカ新語事情

クエンセル 2003-09-06



(注:要約したため、意訳、追加、省略した部分があります。)


Logrigはコンピュータ、gyangthongはテレビ、yongdrelはインターネット、numkhorは自動車…。


一般的に使用されている英語の語彙の代わりとなる数百のゾンカの新語が、ゾンカ専門委員会 Dzongkha Expert Committee (DEC) によって作られた。しかし、こういった語彙を知っているものは一握りでしかなく、実際に使用しているものはさらに少ないのが現状である。現在、多くの人々が疑問に思っていることは、一般的な英語語彙の代わりとなるゾンカの単語を作るという労力が価値のあるものなのかということである。


ゾンカ専門委員会(DEC)は、この新語造語を将来的なゾンカの発展と生き残りのために必要なことであると確信している。「新しい概念や語彙をオリジナルの英語の形で取り入れるならば、ゾンカは10年以内に外来語で溢れかえってしまうだろう。そして、ゾンカはブータン的なものとしての資格を失い、ブータンブータンであると正当化することができなくなる。(ルンテン・ギャツォDEC委員長談)」
さらに専門家は答える。「ゾンカの新語造語は人々に選択肢を与えることになる。われわれの世代は最初に英語の語彙を目にし、最後の段階でゾンカの語彙を目にする。しかし、これらの語彙をゾンカで造語しておけば、若い世代は同時に2つの選択肢を持つことになる。つまり、”gyangthong”という語彙だけでなく、”TV”という語彙も手に入れるのである。この2つの語彙が重要性を平等に持つなら、2つの語彙は互いに影響を与えるだろう。そうすれば、語彙は個人的な選択の問題になる。しかし、現在のところ、語彙の使用は選択の問題ではなく、慣れの問題なのである。」

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 ブータンの南部問題って?


 「南部問題 Southern Problem」とは、1990年にブータン南部地域で起こったネパール系住民とチベット系住民の対立・暴動と、それに伴うネパール系住民の「難民」化が中心となった民族問題である。ここでは、南部問題の背景の解説と簡単な経緯について書いてみたい。


 この問題の直接的な原因は、ブータン国内のネパール系住民急増を1988年の全国人口調査(センサス)で認識したブータン政府が、民族衣装着用などの社会生活全般にわたるさまざまな国民統合政策を通して、ブータンという「国家としてのアイデンティティ」を確立しようとしたことに始まるとされている。この政策は当然ネパール系住民とチベット系住民の間に確執をうみ、1988年4月、ブータン南部出身で王立諮問委員会のメンバーであるテクナト・リザルとB.P.バンダリが、「南部地域は不穏な状態にあり、人口調査の方法および1985年国籍法の遡及性について改善策を講じて欲しい」という主旨の14条からなる請願を国王に提出した。しかし、この行動により逆にテクナト・リザルらはツァ・ワ・スム(国体)に対して反抗的であり、ネパール系住民を煽動しているとして逮捕された。この事件によって、テクナト・リザルはブータン民主化」運動のシンボルとして、急速に祀り上げられていくことになる。

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 ブータンの人口は何故2種類あるのか


ブータンの人口を調べた人が、必ず目にする2つの数字。これを見た人は「は?」と思うことでしょう。例えば下の数字です。

2002年 2,094,176人       716,423人(政府発表)
2001年 2,140,000人(国連推計) 654,000人(政府発表)

 

資料によって人口統計に大きな差が出ていることにはこんな理由があると言われています。


1980年代末まで、ブータンの人口は約130万人(推定)とされていました。1971年の国連加盟申請の際に、人口データを提出する必要があり、それまで組織だった人口調査が行われた事がなかったブータンでは、対応を協議した結果、先代国王の顧問の「総人口が100万以下では加盟申請が考慮されない可能性もある」という発言により、取り敢えず人口を「100万人(推定)」として国連に提出することにしました。それ以降も本格的な人口調査が行われることはなく、一般的な人口増加率を当てはめ、バーチャルな統計を公表しつづけた結果、1989年には約130万人(推定)となってしまいました。


1989年頃から、南部においてネパール系住民の問題が深刻化したため、正確な人口調査の必要性が増し、1990年代に入って初の全国レベルの本格的な人口調査を行った結果、推定ながら把握した数字が約60万人でした(それ以前に人口調査が無かったわけではありません)。


ブータンの行政・税制単位は個人ではなく「グン」という戸・家単位なので、グンの数字は正確に把握できますが、各グンを構成する人数は伝統的に集計されていませんでした。出生届の制度は確立していますが、住民登録制度は十分機能していないので、人口が今に至っても正確に把握できないようです。


人口が約60万人だと判明したとはいえ、現在のところ「人口約180万人」という数字と、「約60万人」という数字は、各種統計に前者の数字が採用されていることもあり、錯綜しているのが現状です。それが意図的になされたものかどうかはわかりません。しかしながら、反政府組織の中には、それを「国連からの援助を割増させることが目的」としてブータン政府の詐欺行為だと主張する人々もいます。